『夜と霧』 ー ヴィクトール・E・フランクル 読了!

2023年11月28日

ここでは、偉大な英雄や殉教者の苦悩や死は語られない。語られるのは、おびただしい大衆の「小さな」犠牲や「小さな」死だ。

『夜と霧』

皆様こんにちは、囲炉裏屋です。

今日ご紹介する本は、ヴィクトール・E・フランクル著の『夜と霧』です。

※このブログでは、2002年刊行された池田佳代子氏訳のものを参考にしています。

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読もうと思った理由

  • 別の本で「読んだほうがいい」と勧められていたから
  • このご時世に、苦難に対してどのように立ち回ったらいいのかを考えるため
  • 誰も味わったことのない苦難の経験談に触れ、生き方を考えるため

印象に残った言葉

愛により、愛のなかへと救われること! 人は、この世にもはやなにも残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれるということを、わたしは理解したのだ。

読んで学んだこと

  • 苦難にどう立ち向かうというより、苦難に対して、何のために、誰のために立ち向かうかを心に強く思うことの大切さ
  • 誰しも苦しみながら生きている。自分の苦しみは自分以外のだれにも引き渡すことはできない
  • 人生は苦難の連続であり、たとえ一つ苦難を乗り越えた後でも心構えを保っておくこと

感想

この本は、20世紀最悪の施設とも称される、アウシュビッツをはじめとした『収容所』における、凄惨で陰鬱な現実を、著者で心理学者でもあるフランクル氏が鮮明に書いた作品です。

被収容者を襲う理不尽な暴力、差別、そして飢餓。

身近に迫る死と、それを逃れるすべもない現実。

その中でも生きるための希望、生き延びるための理由を持ち続けることが大事であると、著者は心理学者として冷静に、しかし熱意のこもった文体で記しています。

筆者の主張は、次のような言葉に表れています。

抜け出せるかどうかに意味がある生など、その意味は偶然の僥倖に左右されるわけで、そんな生はもともと生きるに値しないのだから。

収容所内で生きる希望をなくした人々は、繰り返される暴力や罵倒により精神を擦り切られ、ついには動こうとする意志さえなくなってしまいます。自分の生という人間の一番大事なものまで、すべて投げうってしまうのです。

生き延びるということただ一つを希望としていると、度重なる期待への裏切りによって精神が摩耗してしまいます。そうして生への活力を保つことができず、病気や飢餓で亡くなる方も多かったそうです。

ここで大事なのは、苦しみから逃れることができるかということよりも、その苦しみや死に意味があるかどうか、と著者は述べています。

自らの苦悩や死までも自然の摂理に従うものとして、すべてを受け入れて日々を過ごす。

そうした超然とした気の持ちようが、出口の見えない困難にあるときに大事であるのだな、と自分は感じました。

この本には、小説家や思想家の引用もよく出てきます。

例えば、

わたしが恐れるのはただひとつ、わたしがわたしの苦悩に値しない人間になることだ

ドストエフスキー

また、

なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える

ニーチェ

といった形です。

これらの言葉が、先に説明した苦悩や死に対する態度としての理論を補強しています。

そうして、次の言葉につながります。

だれもその人から苦しみを取り除くことはできない。だれもその人の身代わりになって苦しみをとことん苦しむことはできない。この運命を引き当てたその人自身がこの苦しみを引きうけることに、ふたつとないなにかをなしとげるたった一度の可能性はあるのだ。

この言葉は、今の状況にも置き換えることができるのではないか、と思います。

コロナによる危機で人が受けている苦しみは皆同じように見えるけれど、「友達や家族に会えない」「外に出る機会がなくて憂鬱になった」など、一人一人が抱えている問題の数や大きさは全く違うのではないでしょうか。

愚痴を聞いてもらうことはできたとしても、その悩みを人に肩代わりしてもらうことはできません。

あくまで自分の悩みや苦しみは自分で受け入れること。

そうすることで、自分にしかできない「なにか」をなしとげることがある、のではないかなと解釈しました。

最後にもう一つだけ、引用したい文章があります。

わたしたちは、幸せなど意に介さなかった。わたしたちを支え、わたしたちの苦悩と犠牲と死に意味をあたえることができるのは、幸せではなかった。にもかかわらず、不幸せへの心構えはほとんどできていなかった。

苦難を乗り越えた後、つまり収容所生活が終わった後にも、また別の苦難がそこにはありました。

例えば、一緒に収容された妻や子供が、もうこの世にはいなかったり……。

人生において苦しみがなくなる、という日は一生来ないのかもしれません。一つ苦しみを乗り越えても、大小を問わずまた新たな苦しみがあるものだと思います。

それでも、その困難すらも受け入れて生きる。

その心の在り方が大事なのではないかなと思いました。

終わりに

本当は、一文一文を取り上げて詳しく話がしたいほど強烈な文章が詰まっています。

実際に声に出して読んでみると、地獄という安易な言葉では言い表せないほどの体験をした著者の並々ならぬ思いが伝わってきます。

いつか朗読会とかしてみたいですね。

ご興味を持ってくださった方には、ぜひご一読いただければ幸いです。

ご感想などがあれば、このブログのコメントスペースやSNSでご連絡いただければと思います。

次回予告

明日の投稿内容の予定ですが、まだ決まっていません(またかよ)

……お賽銭に万札を投げ込んだ話でもしますかね。

冗談はこれくらいにして。

長文になってしまいましたが、ここまでお読みいただき、誠にありがとうございました。

また明日。