我々はどこへ行くのか

表題は、フランスの画家ポール・ゴーギャンの描いたもっとも有名な絵画の名前一部分だ。

正式名称は『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』。作品名としてみるととても長い。それでいて、何かハッとさせられるような、大いなる問題定義のようにも思う。

この偉大な問いかけに、果敢にも挑戦をした本を紹介したい。ユヴァル・ノア・ハラリ作『人類の物語 Unstoppable Us どうして世界は不公平なんだろう』だ。

本書の特徴として、口語体で書かれていることがあげられる。子供にやさしく読み語るような、そんな文体だ。そして、人類の発展に基づく様々な出来事を、物語形式でわかりやすく書いている。

この作品で語られるのは、農耕生活における大いなる誤算と、支配・被支配を分けた物語についてだ。

農業は、人類に繁栄をもたらした。人口を狩猟生活の頃より何十倍、何百倍と増やすことができたからだ。

しかし農業は、人類に厄災をもたらした。過酷な労働、飢饉、疫病である。

採集民が移動しながら食物を手に入れる代わりに、農耕民は一つ所で定住生活を行った。農耕には、膨大な作業を必要とした。その差を如実に表しているのが、それぞれの民族の骨格だ。

本書では、採集民の骸骨と農耕民の骸骨が研究室で出会ったなら、こんな会話をするだろう、というファンシーな章がある。

骨格を見比べると、とても農耕民のほうが反映しているようには見えない。明らかに不健康そうなのだ。

背は栄養不足と腰を曲げての作業のため、小さく折れ曲がっている。糖分の取りすぎで虫歯になり、歯もボロボロだ。

そして、一、二種類の穀物で生活をしていると、環境要因の影響を非常に受けやすい。飢饉や干ばつが起こると、一斉に食べるものがなくなる。大量の餓死者も出る。生き残ったとしても、食べるものがなかったため、栄養不足で余計背も小さくなる。ほかにも、集団生活により、病気は瞬く間に広がる。飼育している動物から感染する疫病も存在する。農耕民は上記の多大な損失が起こることもあるのだ。

それでも、採集民を数で圧倒する農耕民は繁栄した。そして環境要因を取り除くために、もっと大きなことをする必要が出てきた。干ばつが起きても水がなくならないように、巨大なため池を作ったりした。遠くの川から水を田畑にひいたりした。

それはとても、数十人のコミュニティでは出来ないことだった。

巨大な集団は指導するものを必要とした。ただ、かかわる人数がさらに大きくなると、指導する人間には説得力が求められるようになった。指導される側の人間が、指導者の言うことを聞かなければならない理由だ。

実際に会って話ができればそれでいいのかもしれないが、数千、数万人の規模になるとそれも難しかった。そのため、人類は物語を作った。指導者の言うことを聞くのが、どれほど大事なのか。いうことを聞かなければ、何が起こるか。それそ人々に知らしめるために物語を作った。

この作られた物語は、時代や環境によって大きく変容することになる。それが今日の民族格差、性の格差、人種の格差へとつながっていると本書は言う。

本書は最後に、作られた物語、その中でも特に格差を生み出している物語について、認識を変えることを読者に託している。

我々はどこへ行くのか。

この問いに答えを出すのは、これからの世界で生活する人類、先祖からバトンを受け継いできた人類の役目だ。