静岡発→乾燥地域文明行

読書は旅だ。

自分の知らない世界へ思考を巡らせるのは、行ったことのない場所へ足を運ぶことと似ている。

私は静岡に生まれ、静岡で育った。勉強や仕事のために県境をまたいだことはあっても、修学旅行で台湾に行ったこと以外は、日本で二十数年間を送っている。

台湾は日本より赤道に近く、少し暖かい。しかしそれ以外は、ユーラシア大陸の東にある島として、日本とほとんど変わらない。

一般に、日本には豊かな自然があると言われる。私の住む静岡でも、徒歩で行けるところに山がある。川もある。その気になれば山中を散策することもできるし、川で釣りをしたりもできる。しかし、私は豊かでない自然を知らない。だから、それがどれほど恵まれているのかがわからない。いくら言葉で「四季がある国・地域はそんなに多くない」と言われたところで、いまいちピンとこないのだ。

「恵まれた自然」と対になる場所はどこだろう。私は、草木も生えない、砂漠を想像した。

嶋田義仁氏の『砂漠と文明』は、ユーラシア大陸東部からアフリカ大陸北部まで広がる、乾燥地帯で発達した文明について知ることのできる本だ。

乾燥地域には、降水量が少ないため草木が生えにくい。食べるものが少ないため、必然的に湿潤な地域と比較して、人も住居を構えるのに苦労する。私はそう思っていた。しかし実際は、想像とは真逆のことが書かれていた。

乾燥地域こそ、人類が文明を作るに至った舞台である、と。

考えてみれば、昔学校で習った四大文明というのは、この乾燥地域に点在している。史跡が残っているということは、それだけ発達した文明を作り上げたということだ。ホモ・サピエンスが世界中に広がった中で、どうして乾燥地域が巨大な文明を残すことになったのか。

『必要は発明の母』という格言が、この事例にあてはまるかもしれない。ホモ・サピエンスは乾燥帯を攻略するために、生物としては全く新しい発明を二つ行った。農耕と畜産だ。

湿潤な地域では食べ物に困ることはない。木の実を食べるなり、それを食べる動物を狩るなりできる。乾燥地域では、それがない。

もちろん、つらいのは人間だけでない。水がないと困るのは、植物であれ動物であれ同じだ。乾燥帯に適応するために、独自の進化をする必要がある。そうして、乾燥帯に根差すイネ科・マメ科の植物と、それらを効率的に補給できる大型哺乳類が生まれた。面白いのは、その乾燥に耐えるための特性が、そのまま人類にとっても助けになったことだ。

人類は、農耕と畜産を発明した。少ない雨で育つように一年で育ち、硬い種子を覆ったイネ科・マメ科の植物は、保存のきく食物になった。少ない植物を摂取するため絶えず移動する馬や、水を体内にため込んでおけるラクダは、食物としてだけでなく、戦争や運搬の助けになった。ヒトは自然のものをほかの捕食者と競争する生活から、新たな資源を自らの手で生み出すことに成功した。

それでも、やはり乾燥地域での生活は厳しい。年毎に不作となることもあるし、虫による害もある。飢えた先に、大量の死者がでてしまうこともあっただろう。だからこそ、人は大きな共同体を必要とした。幸い、備蓄に耐えうる植物はある。各地に分散する生活区域を結びつけるための足も手にした。それらはいずれも乾燥地域で発達した動植物たちだ。

人類と、イネ科マメ科植物と、大型哺乳類。三つの共生関係が、今日に至るまでの礎となった。

こうしてみると、改めて生物は途方もない旅をしているのだということがわかる。海から始まり、やがて陸に上がった生物は、生命維持に必須の水が少ない乾燥地域をも進み、それを攻略した。私には、とてつもない力のように思える。

冒頭の言葉に戻り、この記事を締めたいと思う。

読書は旅だ。それも、空間を、時間をも超える、大いなる旅だ。